停滞

立ち止まって振り返らないと息継ぎができない

 例年よりも早く秋の訪れを感じる9月。
夜の九時を過ぎた頃、いつものように青梅街道沿いを歩いていた。休日の夜は地下鉄駅前の往来も少なく、すれ違う人達は皆これから家に帰るであろう人ばかりだ。
 休日を満喫した人々を尻目に仕事で疲れた身体を重い足で運んでいる私は、ふらふらと自宅とは真逆の脇道へと吸い込まれていった。
500m程歩くと黄色くぼんやりと光る看板が見える。私の馴染みの喫茶店だ。
誘蛾灯に誘われる虫のように私は看板のある方向へ歩みを進め古ぼけた扉を押した。
 ジョン・コルトレーンの曲が流れる店内は夜の割にはやけに賑やかで、席も二つほどしか空いていなかった。
顔見知りの店員に目配せをし、あたかもお手洗いを借りてから席に着くつもりだと言わんばかりになんの違和感もなく店の奥へと進んで行く。
入り口から真っ直ぐ進むと店の突き当りの奥まったスペースの左側にお手洗いの看板をぶら下げた扉があるが、私はその扉の真向かいにある何も書かれていない扉を開けた。
もちろん私は喫茶店の店員ではないし、ここが事務所の入り口というわけでもない。
 ひんやりと湿った空気は少しかび臭い。三畳程の部屋の中にはこじんまりとした薬品棚と小さな脇机がある。
私は棚から透明な液体の入った小瓶を取り出して、それをズボンのポケットへすっぽりとしまい店の方へ戻った。
店の客は私を気にも留めず、各々話に花を咲かせたり本と睨めっこをしている。
レジに1万円札を2枚置いて私は店を後にした。

 駅から逆方向へ15分ほど歩いた先にある銭湯へ入った私は三十三番の靴箱に靴を入れ、木札で出来た鍵を取り出す。
ぴったり準備した460円を番頭に渡し、タオルを受け取った私は男湯の暖簾を潜った。
脱衣所はがらんとしていたがガラス戸の向こうは白い湯気の中をたくさんの肌色がひしめき合っている。

 服を脱ぎ、手にはタオルと先程の小瓶を隠し持ってガラス戸を開けた。
空いている洗い場を探すように辺りを見渡しながらごく自然に湯船まで近づいていった私は湯加減を確かめるような動作で湯に片手を入れ、手のひらに隠し持っていた小瓶の中身を流し入れた。
不自然にならないよう入り口脇のシャワーで身体を濡らし、脱衣所のトイレに一度入ってから銭湯を後にした。この後の湯船の惨劇といったら想像に難くない。
悲鳴と共に全裸で暴れる大人達と、朱色に染まった湯、悪臭漂う銭湯の中はさながら「空いてるお皿お下げしてもよろしいでしょうか?」唐突に声がした。

 

「は、はひ。」
思わず気の抜けた声で返事をした僕の事など気にもとめず空いたパスタの皿を片付けていく店員。
気恥ずかしさをごまかすように冷えたコーヒーの残りを飲み干して煙草に火を付けた。
疲れてまたうとうとしていたみたいだ。
夢の内容はよく覚えていないけれど、なんだか支離滅裂な妄想だった気がする。

 

帰りに銭湯にでも行って身体を休めよう。